新サスケ

1950年生れ。
歌誌「覇王樹」準同人。
詩誌「青魚」同人。
囲碁は日本棋院アマ6段。
園芸愛好家。

記事一覧(60)

挫折

 同人詩誌「群青」第20号(2011年2月・刊)に載せた、僕のエッセイ「挫折」を転載します。  挫折    新サスケ 今年(2011年)1月12日に、それまで使っていたパソコンが立ち上がらなくなった。出張してもらった修繕屋さんはリカバリーを勧めたけれど、結局、新しいパソコンを買う事になった。 データは移行しなかったけれど、僕のブログは再開できたし、ネットの「お気に入り」の大事なものは復帰したか、復帰できる状態にある。 それに関わって、あるいはそれ以外にも、挫折した事が幾つかあるので、ここに記しておきたい。 まず今年初めに、パソコンに導入した会計ソフトを、再導入せず、中止した。会計ソフトにはメモリが不足して、パソコン故障の原因となったかも知れないと考えられる。今は、金銭出納帳を付けている。 それに、数年前から蔵書のデータベースを作ろうとして、文庫本から始めて、2,300件くらい打ち込んだが、中止するつもりである。エクセルで打っていたが、途中で「オープン ファイル ドキュメント」とかいうソフト群をダウンロードすると、その気はないのに、仕舞うたびに「こちらへ移換しますか」と問うてくるので、根負けして移換してしまったのである。そのソフト群をまたダウンロードする事はできそうだが、内容に問題がありそうなので止したい。 セキュリティソフトに更新料無料のものを使っていたが、ウィルスを感染させてしまったかも知れないので、また更新料有料のものに戻した。 パソコン関係ではないが、ケイタイでのスケジュール管理を、中止した。手帳での1ページ1週間ぶんという、1覧性が便利だからである。 電子化、ペーパーレス化は、困難を伴うものだ。 (2019年3月6日、追記)。最近に、更に新しいパソコンに替えた。金銭出納帳は止めて、タブレットに家計簿ソフトをダウンロードして、小遣い帳にしている。蔵書のデータベースは、同人のA・雨子さんに励まされて再開し、文庫本ぶんは仕上げた。 タブレットでのスケジュール管理は、忙しい日のみ使っている。

第三の大衆詩型

 前回に続いて、同人詩誌「群青」第29号(2014年2月・刊)に寄せた、小論を載せる。  第三の大衆詩型    新サスケ 現在、大衆詩型として、短歌と俳句がある。芸術詩と大衆詩とに分化すると説く人もいる。 短歌(和歌)は「万葉集」以前より記録され、のちには宮廷とその周辺の文学となったようだ。 俳句は、連歌の発句が独立し、一詩型となった。芭蕉は武士と大商人を頼りとし、大衆的には点取り俳諧もあった。 明治の正岡子規が、俳句と短歌を革新し、新しい大衆詩の基礎を作った。もっとも彼は、世界詩としての俳歌を目指していた所がある。 敗戦後、とくに生活にゆとりが出来て以来、俳歌は盛んとなり、女性の進出も著しい。 心情を短く述べる事、また定型に収める事には、快感がある。しかし述べたい事の長さや深さによっては、一句、一首に収まらず、連作、フィクション等の問題が出て来て、議論が多い。 僕は日本語のソネット(韻は踏んでいなくて、主に四連の一四行詩)を創っている。立原道造のソネット、谷川俊太郎「六十二のソネット」、有馬敲「転生記」、広部英一「わが山 ふくいの詩」等の先例がある。 ただし僕のソネットは、ほとんどが生活詩である。先例は高踏的な作品が多いようだが。 我田引水は承知の上だが、俳句、短歌と並ぶ、第三の大衆詩型として、ソネットがあり得る事を僕は信じている。一種の定型詩であり、現代の生活の一場面、解きほぐしたい思いなどを述べるのに、適しており、普及する事を願う。 (以上です)。

図書カード

 同人詩誌「群青」(2015年、34号で終刊)に交代で載せたエッセイの内、自分の分を逆年順にアップしてゆきたい。まず33号(2015年6月・刊)から、「図書カード」を。  図書カード   新サスケ ある土曜日の午後、妻が笑顔で「図書カード、要らない?」と訊く。「貰うよ」と僕。 さほど嬉しそうでもなかったのは、最近ではネットで本を買う事が多く、書店で買いたい本が、すぐには浮かばなかったからだ。「千円分あるわよ、はい」。 二週間後の平日午前、僕は車で「KaBoS 二の宮店」へ向かった。二年ぶりくらいか。家より遠くて、ガソリンと時間が掛かるのはドライブと思えば良いが、トラブルめいた事があって、足が遠のいていた。店は広くて、品揃えも多いのだ。 アメーバブログを持っているので、そのグレードアップのガイド本があるかと思ったが、適当な本はなかった。背景の変更の解説などで、アクセス・アップに集中した本がない。 最後の頼みは、岩波文庫である。ある本は税抜き900円で、税込みでは千円にわずか足りない。桂川甫周・著「北槎聞略」が税抜950円で、値段的にはちょうど良い。副題は「大黒屋光太夫ロシア漂流記」であり、僕の書架にない。 レジの女性(今は年配の人が一人)へ持って行く。「1026円で、図書カード千円に、現金26円です」。財布の小銭入れを捜すと、百円玉が1枚あって、それで払った。千円札を出すような羽目にならなくて良かった。「カバーをお掛けしますか?」。「お願いします」。ふだんは掛けてもらわないのだが、読むとしてずいぶん先の事のように思えたからだ。 帰宅して、4段の文庫本棚の上、ブックスタンドで更に1段作ったその上に、本はぽんと置いたままである。 (以上です)。

「群青」一代記

 元旦の記事「ネット爺さん奮戦記」に先んじて、毎日新聞・福井版のリレーエッセイ「へしこ」に、2016年10月27日付けで載せて貰った1文を紹介する。1部、伏字、ハンドルネームへ変更などがある。ペンネームは、そのまま表記した。  「群青」一代記    新サスケ 所属していた県内の同人詩誌「螺旋」が、1996年3月31日付けの第60号をもって休眠した。 僕は鯖江市内の詩人を主とした同人詩誌「青魚(せいぎょ)」に作品を発表させてもらうようになった。ただし「螺旋」同人(60号で9名)のうち、鮮やかな抒情詩で登場した、こぐま星座(ハンドルネーム)さんが、年刊詩集「詩集ふくい」(県詩人懇話会・刊)にしか発表できなくなった事を惜しんだ。 こぐま星座さんに2人詩誌の話を持ちかけ、題名も「群青」と決まった。表紙の題字は職場の書家・小林峰仙氏にナポレオンか何か1本で書いてもらった。印刷・製本は、歌人・足立〇〇さんとの関わりで、福井市内の宮本印刷へ頼んだ。 詩は1人・見開き2ページ、後部に交代でエッセイ1編1ページ。誌面は、目次から奥付けまで僕がパソコンのワードで打ちこみ、印刷所へ持ち込んだ。2004年10月20日付けで創刊号発行。A5判、6ページ。80部。年3回・刊。 僕ら2人は喫茶店に落ち合って、学生時代の事から老後の心配まで話し合ったものだ。 木下〇〇さんを第4号(2005年11月・刊)より誘った。しかし木下さんは2007年に急逝。第8号は追悼号となった。 第14号(2009年2月・刊)より、神子萌夏さんが参加。第16号(同年10月・刊)より青山雨子さんが参加した。 反原発詩などで内紛があり、神子さんが第20号で退会。青山さんが第31号で退会した。 こぐま星座さんが意欲をなくしたか、第34号(2015年11月・刊)後の今年の年賀状で、「詩を休みたい」と告げて退会。ここに同人詩誌「群青」は、創刊より11年余で終刊した。(以上です)

ネット爺さん奮戦記

 毎日新聞福井版の2016年11月24日、リレー・エッセイ「へしこ」に載せた、僕のエッセイ「ネット爺さん奮戦記」を転載する。 1部、編集局の配慮で伏せたブログ会社名など、復活してある。字数の制限があり、しまいを端折ったのが残念である。  ネット爺さん奮戦記    新サスケ僕は詩を書き発表しながら、同人歌誌「地楡(われもこう)」(足立尚計氏・代表)で短歌の世界に導かれ、1993年、43歳の時に結社誌「コスモス」に参加した。数年が過ぎ、結社内の季刊同人歌誌「棧橋」に申し込んで同人となった(後に退会)。 「棧橋」同人の先輩たちがブログやホームページを設けて活躍しているのを見て、僕もブログを持ちたくなった。それで県内のインターネットサービス会社が運営する、「ミテログ」を利用して始めてみた。他のブログサービスを知らず、大手のブログサービスには解説書のあることも知らなかった。 サイト内にあった説明を頼りに、2007年4月4日に最初の記事を書いた。ブログ名は「サスケの本棚」とした。字は小さく、著作権や肖像権に厳しいことも知らなかった。 リンク集、アクセスカウンター、ブログランキング・バナーなどを付け加え、次第に形を整えていった。しかし容量が2ギガバイトだったので、10年目に入って記事更新が3,000回を越えると、動きが悪くなったようだ。またサイト内検索がない、予約投稿が出来ないなどの不便も目立った。カウンターは14万アクセスを超えたけれども。 それで2016年9月初めに大手ブログ、「ライブドア・ブログ」に移り、「風の庫(かぜのくら)」と称した。記事更新もアクセス数も順調のようである。最近のマニュアル本も読んだ。 短歌、詩の作品をネットで発表するため、別の大手ブログ「アメブロ」に「新サスケと短歌と詩」を設け、共にほぼ日刊で更新している。ブログへのアクセス数を増やすため、本に勧められるなどして、ツイッターとフェイスブックを始めた。今はそれら自体を楽しんでいる。(以上です)。

「第38回 会員の詩集を祝う会」へのお礼

 「福井県詩人懇話会会報」第99号(2018年10月20日・刊)に載せてもらった、「「第38回 会員の詩集を祝う会」へのお礼」を転載します。1部、ハンドルネーム、伏字、追加があります。県詩人懇話会の祝う会(中日詩話会をかねて)は、2018年9月15日に催されました。 「第38回 会員の詩集を祝う会」へのお礼                    新サスケ 先月15日の「第38回 会員の詩集を祝う会」では、他のお二方の詩集と共に、僕のkindle本詩集「日々のソネット」をお祝いくださり、ありがとうございます。他のお二方は紙本の詩集で、以前に、あるいは会場で配られていましたが、「日々のソネット」はkindle版で、そういう訳にも行かず、1部の方を除いて、10編抄のプリントのみとなり、済みませんでした。 お祝いしてくださった方、またインタビュアーの役をしてくださった(僕からお願いした)千葉〇〇さんに、深くお礼申しあげます。 高校文芸部時代の話より入ったのは、千葉さんが関心を示され、電話、手紙での打ち合わせで合意した所です。その頃の(荒川洋治さんを含めた)資料を、1部ずつ、できるだけ多く用意し、皆さんに示すことができました。 「今以って荒川洋治さんとの関わりで語られることは不幸だ」との発言がありました。「荒川さん」「〇〇(僕の姓)君」と呼び合うのは、遠い時代からの友情で、僕の缶バッジでもあります。先輩後輩の関係(今でも当時の彼の気配り、偉さに気づく、僕の鈍さではありますが)であり、師弟関係ではないので、今のままで良いように思います。 「良い詩とそうでない詩が混ざっている」との発言がありました。大衆詩を自任しているので、100余編から55編を選ぶ時、詩的でない作品が入ったかも知れません。 大衆詩を主張するのは、大学中退して帰郷後、以前のレトリックを重ねた自分の詩がつまらなく思えたこと、短歌という大衆詩を併行して創っているせいでしょう。「ヴ・ナロード」と胸に呟いていた時期があり、谷川雁の「工作者」に憧れた時期があり、今は自分を大衆の一人と納得しています。 大衆は賢い者です。車道の右側車線をゆっくり走っているな、と思うと、近くの交差点で右折します。2車線の赤信号で右折しようとすると、青信号になっても対向車が待ってくれたりします。 謝辞で僕が「比喩は嫌いです」と口走ったのは、嬉しさの余りの勇み足かも知れません。でも暗喩などのレトリックに憧れが残るものの、リアリズム路線で書いています。 日本詩界の流れもあります。暗喩に暗喩を重ねる詩は、戦後「荒地」派に発し、「列島」系を巻き込み、長く日本の詩界を席巻しました。当時のアンソロジーを読んで、一色なのに驚いた記憶があります。「櫂」グループにも引き継がれました。しかし荒川洋治さんの「水駅」の登場に由って、終わりを告げました。反権力としての暗喩の終わりです。後は権力側の比喩か、ディスコミュニケーションか、詩界知らずの比喩です。 長いであろう、文学の冬の時代を潜るべく、僕も目論んでいます。(以上です)。