追悼文 とびきりの笑顔

 同人詩誌「群青」第8号(2007年2月15日・刊)より、同人・木下龍子さんへの追悼文を転載します。


  とびきりの笑顔

    新サスケ


 木下龍子さんに初めてお会いしたのは、お互い高校生の時だったろう。「南信雄氏追悼」にも書いたのだが、高校文芸部員の時に他の部員と共に、仁愛女子高校文芸部の方たちと会った事がある。当時、木下さんはI・秀子さんと共に詩で活躍されていて、福井新聞に取り上げられ、また二人詩集「十七歳の詩(うた)」を上梓した。その場に木下さんは当然居られただろうが、僕にイメージの記憶は残っていない。木下さんもその時の僕を憶えていらっしゃらなかっただろう。

 年月は過ぎて、福井県詩人懇話会などの催しの席上、彼女に会う事が多くあった。僕は会のカメラマン役をしており、撮った写真をサービスで焼き増しし各人に送らせて貰っていた。彼女に送った写真の中に輝くような笑顔の一枚があり、葉書でか「少女のような私が写っていて、嬉しい。」とお便りがあった。

 2005年の5月、福井新聞社で「北陸現代詩人賞」の贈賞式があり、その後のパーティ(ノン・アルコール)の場で、K・徳夫さんと第3号まで出していた同人詩誌、「群青」への参加を木下さんに要請した。断られる事が怖くて僕は、あらぬ事を口走ってしまったのだが、彼女は静かに受け止めてくださり、数日後、承諾の旨を報せて来てくれた。

 彼女は「群青」4~7号に、詩4編、エッセイ2編を書いてくださった。あからさまな生活の詩は書かれなかったが、情感の豊かさを感じさせる作品を書かれた。またエッセイでは、なぎなたの練習の事を書かれ、読者からは「優しい詩と、なぎなたの猛者のギャップが面白い」との感想の便りもあった。

 彼女は57歳で、先に逝かれた御夫君の許へ行ってしまわれた。彼女の晩年になってしまった1年半余に、「群青」に詩やエッセイを発表され、またしばしば同人3人で(稀には2人で)喫茶店に集まって、文学の話や雑談に時を忘れた事で、ひとり家に籠もられることの多かった生活が、少しでも明るいものになったのでは、と願っている。

 生前の彼女に最後に会ったのも、2006年12月16日、喫茶店で3人で話し込んだ時だった。別れ際に車の中から、いつもの輝くような笑顔をされたのが、鮮やかに残っている。

 2007年1月13日、風邪をこじらせて急逝された。

 さて生き残った者は倒れるまで、生活や文学に励まなければならない。


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