小説「底流」の(2-2)

  小説「底流」の(2-2)


 彼らが朝どやどやと市内バスに乗り込んだとき、彼は中学校で同級だった女生徒と顔を合わせた。「お早う」と彼女の方から挨拶したので、彼も軽く返事した。

 彼が最も鬱ぎこんでいた頃、彼は一度廊下で彼女とすれ違ったことがある。そのとき彼女は何か言いたそうに彼の顔を見たのに、彼は目を伏せて避けた。彼はそんな気持はなかったのだが、二、三日後に他校へ進んだ同級生と一緒になると、彼女と会ったらお前が朝の挨拶さえせずに逃げるように行ってしまったと恨んでたぞ、と言われたものだった。

 バスの奥の方に彼は席取った。彼女もあちこち物色していたが、最後に彼の席と通路ひとつ隔てた、ちょうど隣りの席に腰かけた。彼と同じクラスの女生徒が一人奥に入って来て、彼の隣りの一人分空いた席に目を落とした。しかしくるりと背を向けてしまうと、立ったまま反対側の彼の同級生と話を始めた。

 大麻生令子の姿が見えた。彼女も押されて奥へ来ると、その二人の話に加わった。立った二人は主に聞き役に回って、元・同級生ばかりが元気な声で喋っているようだった。話が途切れて三人とも黙りこんだ時、彼女はふと気づいたように、「そこに掛ければいいのに。」と二人を見上げて言った。彼の座っている隣りは一人分空いたままになっていたのである。すると大麻生令子が小さい声で、「あの人エッチだから。」と言った。少なくともそう言ったように彼の耳には聞こえた。彼はきつく眉根を寄せた。これまでの朝らしい気分はどこへやら、重い心持になった。彼の学校での行動から彼がいわば好色者に見られる恐れのあることは自身十分に知っていた。しかし彼は自然にしろ異性にしろ、見る人に没入や性の欲求があるからこそ美しいのだと考えていたし、また美はすべての中で絶対的な位置を占めていたから、彼は異性の美に敏感なことで自分を責めたりはしなかった。ただ彼は他人が向ける嫌悪や侮蔑に神経質だったのだ。

 バスが校門前に止まって皆が立ち上がったとき、同級だった女生徒が彼に同窓会の話を持ち出した。しかし彼は憂鬱そうに、「う、うん。」と言ったきり去ってしまった。声も嗄れていた。その急変ぶりに、彼女は茫然として彼を見送った。

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