小説「底流」の(2-2) 小説「底流」の(2-2) 彼らが朝どやどやと市内バスに乗り込んだとき、彼は中学校で同級だった女生徒と顔を合わせた。「お早う」と彼女の方から挨拶したので、彼も軽く返事した。 彼が最も鬱ぎこんでいた頃、彼は一度廊下で彼女とすれ違ったことがある。そのとき彼女は何か言いたそうに彼の顔を見たのに、彼は目を伏せて避けた。彼はそんな気持はなかったのだが、二、三日後に他校へ進んだ同級生と一緒になると、彼女と会ったらお前が朝の挨拶さえせずに逃げるように行ってしまったと恨んでたぞ、と言われたものだった。 バスの奥の方に彼は席取った。彼女もあちこち物色していたが、最後に彼の席と通路ひとつ隔てた、ちょうど隣りの席に腰かけた。彼と同じクラスの女生徒が一人...28Jul2019
小説「底流」(2-1) 小説「底流」(2-1) 彼のクラスも女生徒が半数近くを占めていた。彼女たちは華やいだものを身につけはじめてていた。よく助平がかった話をする先生がいて、あるときクラス中の生徒の前で、「一応、君たちはもう一人前だよ。女の子なんかもうお嫁にゆける身体をしている。」と言ったことがあった。 彼女たちの中でも彼は一人の女生徒―大麻生令子―に目を止めていた。顔立ちは整っているが、可愛らしいというでもない。ただ目が大きかった。授業の合間の休み時間に、彼女が席に座ったままだと、彼は背後からよく注視していた。時々彼女が振り返って彼の視線に気づき、気がかりそうな様子をしたが、しかし彼はせいぜい目をそらすだけで彼女の心の動きには無関心な風であった。 彼は...21Jul2019
小説「底流」(1-2) 小説「底流」(1-2) 彼はぜいたくにも郊外バスと市内バスと二つを利用して学校に通っていた。近所には毎日自転車で通う上級生さえいたのだが。 夏のある日、彼は授業の終った後も適当に時間を潰して学校を出た。学校の近くの停留所でバスを待ったが、来るべき時刻を相当過ぎてもまだ来ない。彼と一緒の二、三人の大人も待ち飽きたらしく、バスが来るはずの道を遠くまで見遣ったりした。彼はたえず身体を揺らせなどしながら辛抱していたけれども、とうとう神経的にじりじりし始めた。 バスが来て乗り込んでからも、彼の一度昂った神経は平静に復しなかった。郊外バスのターミナル近くで降りて、大勢の人混みを眼にすると、今度は頭の中まで混乱して来た。ターミナルの建物を目の...19Jul2019
底流(1-1) 高校文芸部の年刊部誌「白房」1968年号(3年生時代?)に、僕が初めて書いた小説、「底流」を紹介します。当時、傾倒していた実存主義、新感覚派、新心理主義のごた混ぜと言えば、壮語でしょうか。「白房」に載せなかった、結末を付けます。 底流(1-1) 春の日の毎日々々は日の光に溢れてけだるく流れて行った。 高校に入学して一ヶ月くらいは、青空ばかり続いたようだった。 その後で雲行きが怪しくなった。彼はひどい憂鬱に陥って、毎日の生活が、ことに学校全体が何か薄暗いものに思えた。授業中の或る時など狂暴な発作めいたものに襲われながら、授業中なれば椅子から立ち上がる事一つ出来ず、前の席の生徒のうなじ、彼の目の前にじっとして動かないそれを憎々しげに...16Jul2019