前回に続いて、同人詩誌「群青」第29号(2014年2月・刊)に寄せた、小論を載せる。
第三の大衆詩型
新サスケ
現在、大衆詩型として、短歌と俳句がある。芸術詩と大衆詩とに分化すると説く人もいる。
短歌(和歌)は「万葉集」以前より記録され、のちには宮廷とその周辺の文学となったようだ。
俳句は、連歌の発句が独立し、一詩型となった。芭蕉は武士と大商人を頼りとし、大衆的には点取り俳諧もあった。
明治の正岡子規が、俳句と短歌を革新し、新しい大衆詩の基礎を作った。もっとも彼は、世界詩としての俳歌を目指していた所がある。
敗戦後、とくに生活にゆとりが出来て以来、俳歌は盛んとなり、女性の進出も著しい。
心情を短く述べる事、また定型に収める事には、快感がある。しかし述べたい事の長さや深さによっては、一句、一首に収まらず、連作、フィクション等の問題が出て来て、議論が多い。
僕は日本語のソネット(韻は踏んでいなくて、主に四連の一四行詩)を創っている。立原道造のソネット、谷川俊太郎「六十二のソネット」、有馬敲「転生記」、広部英一「わが山 ふくいの詩」等の先例がある。
ただし僕のソネットは、ほとんどが生活詩である。先例は高踏的な作品が多いようだが。
我田引水は承知の上だが、俳句、短歌と並ぶ、第三の大衆詩型として、ソネットがあり得る事を僕は信じている。一種の定型詩であり、現代の生活の一場面、解きほぐしたい思いなどを述べるのに、適しており、普及する事を願う。 (以上です)。
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