「福井県詩人懇話会会報」第99号(2018年10月20日・刊)に載せてもらった、「「第38回 会員の詩集を祝う会」へのお礼」を転載します。1部、ハンドルネーム、伏字、追加があります。県詩人懇話会の祝う会(中日詩話会をかねて)は、2018年9月15日に催されました。
「第38回 会員の詩集を祝う会」へのお礼
新サスケ
先月15日の「第38回 会員の詩集を祝う会」では、他のお二方の詩集と共に、僕のkindle本詩集「日々のソネット」をお祝いくださり、ありがとうございます。他のお二方は紙本の詩集で、以前に、あるいは会場で配られていましたが、「日々のソネット」はkindle版で、そういう訳にも行かず、1部の方を除いて、10編抄のプリントのみとなり、済みませんでした。
お祝いしてくださった方、またインタビュアーの役をしてくださった(僕からお願いした)千葉〇〇さんに、深くお礼申しあげます。
高校文芸部時代の話より入ったのは、千葉さんが関心を示され、電話、手紙での打ち合わせで合意した所です。その頃の(荒川洋治さんを含めた)資料を、1部ずつ、できるだけ多く用意し、皆さんに示すことができました。
「今以って荒川洋治さんとの関わりで語られることは不幸だ」との発言がありました。「荒川さん」「〇〇(僕の姓)君」と呼び合うのは、遠い時代からの友情で、僕の缶バッジでもあります。先輩後輩の関係(今でも当時の彼の気配り、偉さに気づく、僕の鈍さではありますが)であり、師弟関係ではないので、今のままで良いように思います。
「良い詩とそうでない詩が混ざっている」との発言がありました。大衆詩を自任しているので、100余編から55編を選ぶ時、詩的でない作品が入ったかも知れません。
大衆詩を主張するのは、大学中退して帰郷後、以前のレトリックを重ねた自分の詩がつまらなく思えたこと、短歌という大衆詩を併行して創っているせいでしょう。「ヴ・ナロード」と胸に呟いていた時期があり、谷川雁の「工作者」に憧れた時期があり、今は自分を大衆の一人と納得しています。
大衆は賢い者です。車道の右側車線をゆっくり走っているな、と思うと、近くの交差点で右折します。2車線の赤信号で右折しようとすると、青信号になっても対向車が待ってくれたりします。
謝辞で僕が「比喩は嫌いです」と口走ったのは、嬉しさの余りの勇み足かも知れません。でも暗喩などのレトリックに憧れが残るものの、リアリズム路線で書いています。
日本詩界の流れもあります。暗喩に暗喩を重ねる詩は、戦後「荒地」派に発し、「列島」系を巻き込み、長く日本の詩界を席巻しました。当時のアンソロジーを読んで、一色なのに驚いた記憶があります。「櫂」グループにも引き継がれました。しかし荒川洋治さんの「水駅」の登場に由って、終わりを告げました。反権力としての暗喩の終わりです。後は権力側の比喩か、ディスコミュニケーションか、詩界知らずの比喩です。
長いであろう、文学の冬の時代を潜るべく、僕も目論んでいます。(以上です)。
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