結社歌誌「覇王樹」2018年9月号に掲載の、僕の小論を、ネットに公開するべく、以下に書きつける。掲載と少々違う表記がある。
また掲載では、3行分かち書きだったが、ここでは1行に書き、歌の改行は/印しで示した。また()内は、原文のルビである。
なおこの小論は、「覇王樹」の募集する年間テーマ「道・路」に応じたものである。
啄木『一握の砂』の「道・路」
新サスケ
例えば『永田和宏作品集 Ⅰ』(既読)の「道・路」を論じられれば恰好好いのだろうが、僕にその膂力はない。
それで僕の文学への入門となった啄木より、『一握の砂』に表わされた「道・路」を紹介したい。歌数は多くないので、ページを繰って拾っても良いのだが、僕はもっと簡易な方法を採った。
AmazonのKindle本より、『一握の砂』をタブレットに無料ダウンロード。検索機能で、「道」と「路」の語を含む短歌を選び出したのである。
「街道」を含め「道」の歌四首、「長路の汽車に」を除き、「路傍(みちばた)」「大路」等の歌を含め、「路」の歌十一首を歌集に含む。
「道・路」を含む歌を、分けずに挙げる。歌は順不同である。
・路傍(みちばた)に犬ながながと呿呻(あくび)しぬ/われも真似(まね)しぬ/うらやましさに
・路傍(みちばた)の切石(きりいし)の上に/腕拱(く)みて/空を見上ぐる男ありたり
啄木には多くの不運があった。
中学退学もそうだが、一九〇五年に父・一禎が宗費滞納で住職の地位を罷免されたことが大きい。一禎は後々まで責任を感じてか、何回かの家出を繰り返している。この大事の原因を、諸氏は書いていないが、僕の推察する所、啄木の東京・滞在費、詩集『あこがれ』一千部の出版費を工面するため、父が宗費滞納したのではないかと考える。裕福な住職一家だったから、蓄えはあったとも考えられるけれども。資料にも当たらない、僕の推測である。
もう一つは、一九〇七年、「函館日日新聞」の記者となり、生活が初めて落ち着くが、八月の函館大火のため失職した事だ。この後、啄木は単身で札幌の「北門新報社」、さらに「小樽日報」と放浪的生活を送った。
二首共に、実業に容れられぬ、世に出ない知識人の鬱屈を、路傍の姿に誘発されたようである。
・神有りと言ひ張る友を/説(と)きふせし/かの路傍(みちばた)の栗(くり)の木の下(もと)
・ふるさとの/かの路傍(みちばた)のすて石よ/今年も草に埋(うづ)もれしらむ
故郷を回想する時、道・路も重要な要素となる。神童と謳われた秀才ぶりを回想し、捨石に現在の身のありようを重ねたのだろうか。
・茨島(ばらじま)の松の並木の街道を/われと行きし少女(をとめ)/才をたのみき
・ほたる狩(がり)/川にゆかむといふ我を/山路(やまぢ)にさそふ人にてありき
少年時代の啄木と親しんだ少女で、ややエキセントリックな少女が思い出に残ったようだ。妻となる節子も、声楽家を目指す「才を恃む」一少女だった。
・わがこころ/けふもひそかに泣かむとす/友みな己(おの)が道をあゆめり
・わが村に/初めてイエス・クリストの道を説(と)きたる/若き女かな
現実の道・路を離れて、人生の道と宗教の道を詠んでいる。神童、天才詩人と謳われながら落魄した思いは、終生、彼を離れなかっただろう。
キリスト教に嫌悪感を見せないのは、啄木の進取性だろうか。
・ふるさとに入りて先づ心傷(いた)むかな/道広くなり/橋もあたらし
・ふるさとの停車場路(みち)の/川ばたの/胡桃(くるみ)の下に小石拾(ひろ)へり
一九〇六年、二十一歳の啄木は、渋民村に帰郷し、代用教員となる。その頃の回想だろう。落魄しての帰郷である。
村の道と橋は新しく変わり、村人の心は変わり、自分の心も変わった、異郷に入るような帰郷だった。
志を語り合う者もなく、停車場に侘びしく小石を拾うのである。
・秋の辻/四(よ)すぢの路(みち)の三すぢへと吹きゆく風の/あと見えずかも
「秋風のこころよさに」の章より。一人、辻に立ち、風の跡を見る、都会の寂しさだろうか。
・頬(ほ)の寒き/流離(りうり)の旅の人として/路(みち)問ふほどのこと言ひしのみ
「忘れがたき人々(二)」の章より。この第二章は、函館時代、関わりのあった農場主の、娘さんへの思慕が綴られている。無頼的であった啄木が、プラトニックな純情を寄せた一連として、『一握の砂』の優れた章の一首である。
語ったのは「路問うほど」の事かも知れないが、熱い想いを籠めた言葉だったろう。
この章に、同じ娘さんに向けた、『一握の砂』随一と僕が思う、一首がある。
・さりげなく言ひし言葉は/さりげなく君も聴きつらむ/それだけのこと
「それだけのこと」と書きながら、啄木は万感の想いを籠めて「さりげなく」言ったのであり、娘さんも万感の想いを籠めて「さりげなく」聴いたのである。大人の反語の世界である。
・乾きたる冬の大路(おほぢ)の/何処(いづこ)やらむ/石炭酸(せきたんさん)の匂ひひそめり
・売ることを差し止(と)められし/本の著者に/路(みち)にて会へる秋の朝かな
「手套を脱ぐ時」の章より。最後の上京時代だろうか。小説家として立とうとして成らず、閉塞の時代の都会で、石炭酸の匂いや、発禁書の著者に、寂しさを感じている。
同じく「手套を脱ぐ時」の章より。
・ちよんちよんと/とある小藪(こやぶ)に頬白(ほほじろ)の遊ぶを眺む/雪の野(や)の路(みち)
東京時代の歌らしいが、当時はまだ、頬白の遊ぶ小藪があったらしい。仕事の行き返りに見たものか。
他に次の歌がある。
・夷(なだ)らかに麦の青める/丘の根の/こ径(みち)に赤き小櫛(をぐし)ひろへり
『悲しき玩具』のトリヴィアリズムに繋がる、小些事を取り上げた歌だろう。
『一握の砂』には他に、
・気弱(きよわ)なる斥候(せきこう)のごとく/おそれつつ/深夜の街を一人散歩す
等の、明らかに道・路で詠われた歌があるが、ここでは採らない。
Kindle本のダウンロードと、検索機能の使用のみが新しい、論である。
論じ尽くされたかの啄木だが、こうしてキーワードで探ってみると、新しい面が見つかるかも知れない。
現に日本古典、例えば『源氏物語』なども電子化されて、研究に利用されていると聞く。
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